2011.08.01
全国名水百選に選ばれた杜々の森にある「望岳庵」茶室で行われた杜々の森名水茶会の一コマです。緑の自然に囲まれた茶室は栃尾ならではの趣が感じられます。そこで杜々の名水での一服は茶人だけでなく、一般の方々を茶の心、わび、さびを感じることができます。茶会の後は杜々の森を散策し、自然を満喫できます。
2011.07.01
昭和28年開通の「榎トンネル」を通ってみました。周りは耕作されず、長い間放置された、だんだん田んぼの面影があり…細い道路脇は草がおおい、まるで「トトロ」の世界です。つまり60年前に飛び込んだような不思議な現象です。この栃尾郷比礼地区はその昔明治から昭和38年まで石油採掘がおこなわれていました。当時はこのトンネルは長岡へ抜ける重要近道トンネルだったと思われます。今ではこのトンネルは心霊スポットとして取り上げられているようです。幻想の世界と栃尾見学はいかがでしょうか? 栃尾の油揚げを食べ、幻想の世界へ
2010.03.01
下来伝地内で開催された「ほだれ祭」。「ほだれ」とは「たわわに実った稲穂が垂れる」様を表す言葉で、五穀豊穣、子宝や良縁、子育てなど、人や作物の豊かな実りを祈願する祭りです。 御神体は高さ2.2m、重さ600kgの日本一大きい木彫りの陽根型の道祖神。この祭の時だけ祠から出され、初嫁を乗せて担がれます。 参拝者には富くじ、福餅の餅つきなどのほか、栃尾名物ジャンボあぶらげなどのお土産コーナー、地酒、甘酒などの美味コーナーが用意され、訪れた人たちを楽しませてくれました。
2009.09.01
9月下旬の守門袴岳(すもん はかまだけ)の紅葉。守門岳は新潟県の中央に位置する名峰で、大岳、青雲(あおくも)、袴岳の連山で、新潟平野から良く眺めることが出来る山です。袴岳は一番奥にあり、一番高い部分でしたが、この時期はまだ紅葉は始まったばかりでした。これからますます紅葉が進み、落葉、白銀の世界へと変わっていきます。 この守門全体の雄姿を眺めるのにぴったりの場所が、麓にある道院高原です。 ここには、キャンプ場やグレステンスキー場、レストランや宿泊施設もあり、シーズンの週末は大勢の人たちで賑わっています。
2009.05.01
春の妖精、ギフチョウ。サクランボの花の蜜を吸いに来たギフチョウに出会いました。栃尾はギフチョウの幼虫のエサとなる、 コシノカンアオイがあちこちに自生しており、このような光景がよく見られます。この日は県外のマニアが訪れ、 懸命にシャッターを切っていました。この写真はそのマニアからもらった一枚です。 今年は少雪のためか飛び回るのが早いようですが、このあと、ウスバシロチョウの季節へと変わって行きます。
2009.02.01
とちお遊雪まつりでの一コマ。栃尾の道の駅「ルート290とちお」では、毎年2月に、「雪と親しみ雪と遊ぶ」をテーマに「とちお遊雪まつり」が開催されます。 今年は小雪のため、巨大滑り台やスノーモビル運転体験は中止になりましたが、キックターゲットや芸能発表、 何よりも温かい鍋や麺類、焼きソバ、名物「栃尾のあぶらげ(油揚げ)」などのおいしもの広場が人気。市内外から大勢の人たちが訪れました。 そして、脚自慢「5人6脚タイムレース」(雪上障害物レース)は優勝賞金5万円を争う雪上バトル。 観客の声援に負けじと、小・中学生・一般から大勢が参加し、会場を盛り上げました。(写真は中学生のなかよしグループ)
2008.09.01
中越地震から復活した棚田(半蔵金地区)。2004年10月、新潟県中越地方を激しい揺れが襲いました。旧栃尾市も、震度6弱の本震と、 何時終わるかともしれない余震により、甚大な被害を被りました。震源に近い地域の住宅にも大きな被害が出、 住民は長い避難生活を送りました。 市の大部分を占める中山間地。そこにある棚田も大きな被害を受け、作付け出来ない田が多く見られました。 しかし、道路、水路の復旧に始まり、水抜きなどを行ってようやく復旧。田んぼには黄金色の稲穂が実り、 この棚田米は皆さんの元にも届くかもしれません
2008.06.01
名峰守門岳のシラネアオイ。初夏の守門岳は高山植物の宝庫。守門岳は長岡市、三条市、魚沼市にまたがる連山で、大岳、青雲、袴岳からなっている。雪消えとともに様々な花が咲き乱れ、登山者の疲れをいやしてくれる。このほかにツバメオモトやオウレンなどが咲いており、これから咲くであろうコバイケイソウがあちこちに茂っていた。これから7月にかけて、ヒメサユリが可憐なピンク色を見せてくれる。 大岳からは、新潟平野、弥彦山、日本海まで一望できる。また、袴岳からは、裏手に浅草岳、越後三山などが望める。
2007.06.01
市内栃堀の高徳寺坂にある「静御前」の墓。ご存知のとおり静御前は、源氏の若大将源義経の愛妾です。 静は、兄の頼朝に追われ、みちのくの平泉に落ちのびた義経を追って平泉を目指しました。しかし、頼朝の兵たちが厳重に固める太平洋沿いの道は北上できません。そこで、静と従者たちは越後に出て、そこから山中を会津へ抜け、さらに平泉に向けて北上するという長い道のりを選びました。 ところが長旅の途中、栃堀までやって来た静は病を患い栃堀に逗留することになりました。そして、建久元(1190)年4月28日、従者たちの看護のかいもなく静は若い身空で世を去ります。従者たちは栃堀の里人の手を借りて、小高い丘の中腹に静の遺骸を埋葬しました。これが写真の「静御前の墓」で、熱心な源氏ファンが訪れています。 また、歌手の三波春夫さんも生前、静御前の芝居をするために静御前の墓の参拝に訪れました。
2007.05.01
栃尾の山々で今が盛りのタニウツギ。昔は「田植え花」と呼ばれ、「この花が咲いたら田植えをしても良い」といわれ、田植えの時期の目安とされていました。 しかしそれは昔の手植えの時代の話。最近は機械化や、苗のハウス栽培などによってだんだん田植えの時期が早くなり、この花が咲く前に田植えを済ます農家が多くなりました。 ところが今年は少雪のため、花が少し早く咲き田植えの時期と重なりました。でも、農家の人たちは忙しくてゆっくりこの花を見ている余裕はなさそうです。